少女文学演劇『雨の塔』感想1

舞台
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2021/03/21 矢咲・小津ver(03/21) 三島・都岡ver (03/21)現地観劇
2021/03/21 矢咲・小津ver(03/20) 見逃し配信観劇

To:まだ観劇していない方
ネタバレ含むので、まずは観劇をおすすめします。
矢咲・小津ver → 三島・都岡ver で私は観ました。

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いい劇だった。泣いた。
スタァライトで七木奏音ちゃんを知って、この劇の情報を掴む。
『雨の塔』は百合小説で検索していたときに名前だけ知っていて、原作は未読状態。
とりあえずキャスト女の子だけだし、これは百合確でしょ!ということで観劇を決めた。

まずびっくりだったのが、歌う!踊る!
普通にお芝居だけだと思っていたのでテンションあがる。
私はスタァライトとかミュージカルが好きなんで・・・・・・
しかも音楽が切なくてすばらしい!!CDまってる・・・・・・

舞台がセンターにあるパターンもはじめて。めっちゃ近い。
場面によってはずっと背中とかもあるのでもどかしい時間もあった。
そこは見逃し配信の方で補完できたのでよし。

この舞台観て、奏音ちゃんのことがいよいよ好きでたまらなくなってしまった。
声、もっと言うと声の出し方が好き。

私のなかで小津への巨大感情の整理がまだついてない。
大切な人がいなくなってしまった後みたい。
奏音ちゃんが好きだったこともあるんだけど、小津がとても好きになってしまって、
自分のなかに小津が芽生えてしまって、
一緒に壊れていって、海にとびこんじゃったんだよね。
空を見るだけで、小津のこと、思い出しちゃうんだよね。
小津への感情は、ゆっくりこの劇を振り返りながら整理つけたいと思います。

いい作品は振り返りたくなる。何度も観たくなる。

なんで小津のことが気になるかというと、
この話、第一印象が小津だけ救われないんですよね。
小津は救われなきゃいけないんだよ・・・・・・救いたいんだよ・・・・・・

「ほら・・・・・・再来週の土曜日に海に入れば、海流がつれてってくれるから・・・・・・東京に戻れる」
しんどすぎて超印象に残った台詞。

「私が今ここに立っている意味を教えてくれませんか?」
1つ言えることは、
小津は救われなかったとしても、
小津は救ったんだよ。
小津は矢咲を救った。

「かなしかったんだね。さくらも・・・・・・あなたも・・・・・・・・・・・・おなじくらい、かなしかったんだね」
ここで矢咲だけでなく、さくらもかなしかったことに心を寄せられる小津の優しさよ・・・・・・
小津の言葉は矢咲にとって神様の赦しのように感じて。
先に神様のご加護を求めていたのは小津の方だったけれど……

小津と矢咲が身体を重ねるシーン。
これを期待して観にいったことは認める。
でも想像以上に切ないやりとりを歌と音楽とダンスで展開していく。
このシーン構成する物質全部好きよ。
台詞が歌詞に、感情が音にのる意味が一番あったシーンだったと思う。
小津が大人の女性にも、今にも壊れそうな小さな存在にも見える。
必要とされたかったんだよね。

空の舞台装置が、矢咲•小津verを観る前と観た後だと感じ方でまるで違う。
つくられた青空。
いい空。
切り捨てられるはずだった空。
矢咲は空も海も曇になれば、雨が降れば、境が分からなくなるくらいあいまいで、そこで自分たちは生きていると言っている。
小津は最後、海に自ら飛び込む。
自分を切り捨てる行為。
小津は結局、誰かを切り捨てることができなかった人だったのかな。

小津の願いって
思い出してほしい、必要としてほしいということだったんだと思うんだけど、
矢咲はきっとこの先も小津のことを考え続けてくれるはず。
三島も小津の空をみていた。
都岡は矢咲の小津への手紙を読んでいた。これは手紙が誰にも届かないよりはましなのかな・・・・・・
「届かない言葉はこの部屋の空になるから」って小津は言っていたけど、
矢咲からの手紙は空にはなっていないから、都岡の存在を通して、間接的に手紙は小津に届いたと今は解釈することにする。

三島・都岡verの振り返りが浅いのでもう少し見返そうと思う。
現地で観劇したかぎりだと、
矢咲・小津verから三島・都岡verと観劇することで、小津への気持ちがやっと少し成仏していく感覚はあった。

小津の「連れ出してよ」が心から離れない。

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