劇場版スタァライト感想と考察vol.7 再演の果てに大場ななが星見純那に用意した台詞と演出

アニメ
スポンサーリンク

「私たちはもう舞台の上」発売おめでとう!!

今回は記念すべき7回ということで大場ななについて深堀り回。
vol1では大場なな視点のアニメ、ロロロも含めた時系列を整理していたが、今回は劇場版に絞り考察。

大場ななが再演をしている、演者という立場だけでなくwi(l)d-screen baroqueの脚本演出もしている、という考えを前提においた上で考察に入る。

劇場版スタァライトを観ていた最初の頃は、大場ななは俯瞰的な視点も持ちながらある程度の余裕があるなかで、純那の覚醒によって燃える宝石のようなキラめきを見つけるというような印象だったが、回数を重ねていくうちに、大場ななのなかの心情はもっと複雑に、多重に積み重なり、反発し、無自覚の間に執着が漏れ出て、余裕のなくなっている場面が多々あったと感じるようになった。

皆殺しのレヴュー。
大場ななが演じるべき役は、6人へこの先ぼーっと電車に座って乗っていれば、向かう先は死だということをわからせる役。
6人の相手をしているななだが、まず最初の綻びは、wi(l)d-screen baroqueの開幕を予定より早く始めてしまうこと。
9人の舞台少女の死の回避以上に、純那の舞台少女の死の回避が大場ななの再演の大きな目的になっている。
再演し、オーディションをする筋書きを消した電車のなかで、純那が口にしたのは、またしても諦めの言葉。そして「天堂さんや、あなた(クロディーヌ)には」という他の女の名前。
ここで香子なら口に出して問い詰めてるところだが、大場は最後の最後まで何も言ってくれない。
大場ななはアニメの時から、純那に執着を向けてるときは真顔で純那を見つめる。
台本は事前に書き下ろすもののため、〈輪〉を運ぶ電車の到着時刻は変わらない。そのため最初は〈舞〉のみで相手をすることになる。

ここで注目するのは、大場ななが皆殺しのレヴューでの果たすべき役を逸脱しないギリギリの範囲で純那への1対1で向き合う機会をつくっていること。純那の放った矢を飛んでよけ純那をかわした後、他の相手をしているなかで、あえて純那の目の前にがら空きの背を見せつけるように立っている。しかし、純那が次の矢を放たないので、一度全員をかわしきり今度は距離をとって純那の矢だけが攻撃射程距離に入るように位置をとるも、純那は次の矢をつがえようとしない。
右の拳を握りしめる姿は、〈輪〉の到着を待って手持無沙汰になっているのではなく、大場ななの”純那ちゃん、どうして私に向かってきてくれないの?”という気持ちが漏れ出ているのだと思う。

〈輪〉が来てから6人を同時に相手にしていくななだが、明らかに純那に対してだけ1対1の状況をつくるように動いている。
純那が矢をつがえたのを見ると、他の者が邪魔に入らないように四方に遠ざけてから、矢を弾く。(ここの演出すき)
双葉の上掛けに〈舞〉を刺し動きを封じながら、〈輪〉で香子の星を弾く。
〈舞〉を純那に向かって身体にギリギリ当たらないところに投げつける。
双葉とまひるの足元を崩し、〈輪〉で同時に星を弾く。
純那に向かって最初は走って向かうが、次の矢をつえようとしないので途中で速度をギリギリまで落とすも、なお固まったままなので〈舞〉で弾く。
〈輪〉でクロディーヌの星を弾いた流れで真矢の剣を受ける。
ここで明らかに〈舞〉だけを純那に対して使うようにしており、先の介錯の演出と合わせて、〈舞〉を純那に対して捧ぐことを強くななは意識しており、その象徴としてアニメでは99回聖翔祭の台本につけていたカエルのシールが劇場版では〈舞〉につけられている。

真矢が舞台人としての台詞に答えた瞬間の顔は、すべき役をこなしているときの顔ではなく、大場ななの”どうして真矢ちゃんなの? どうして純那ちゃんは答えてくれないの?”という気持ちが漏れ出ている。ここで、純那だけがななに背を向けている。

「なんだか強いお酒を飲んだみたい」を最初小さな声から始めたのは、純那にだけ聞こえてほしいという気持ちの表れ。
オーディションだと思っている時点で、ちょっとしゃべりすぎた時点で、一発で星を弾いていた香子、双葉、まひる、クロディーヌへの扱いに対して、純那には3度台詞を返すことを待っている。

狩りのレヴュー。
ここで果たすべき役は純那へのけりをつける役だが、ここでも大場ななの純那への執着が漏れだす。

「君死にたまうことなかれ」が漏れでる大場なな。
これに果たすべき役として大場ななが自分で用意した演出の赤い照明が「なかれ」にかぶさる。

純那の歌詞「さあ その牙抜きましょう 逃げ惑う虎の子」は純那にもあてはまるよなという気持ちで当初は流して観てしまっていたが「あなたの星が道標となれば 私は舞台へ 流れ着く」はなんだかずっとモヤモヤしていたままだった。そこで、これは全てななが、自分の心情を純那の台詞にあてて書きつけたと考えるとすんなり飲み込めるようになった。(後にCD発売により歌詞が「あなた」ではなく「数多」であることがわかったが、ななが、自分の心情を純那の台詞にあてて書きつけたという考えは今も変わっていない)
星のなかから純那の言葉を探すなな。
結局、純那は「言葉が私の力だ」と、さも自分の言葉かのように歌いきってしまうので、いよいよすれ違いがぬぐい切れなくなり、ななは純那の矢を、星を砕く。「与えられた台詞こなすだけのお前の星は屑星だ」となっていまうわけである。

”ずっと私は純那ちゃんを見ていたんだよ”と写真を並べ、シャッターを至近距離できり、純那に自分の執着を強引なかたちで目に焼き付けさせる。
純那とななの関係が他と明らかに違うところは、ななの目線に対して純那が無自覚でありすぎたことだ。

そもそもなぜ、純那を自分の手で殺すのではなく、「介錯」を大場ななは望んでしまったのだろう。
名誉の死としたかったから?美しい死として魅せたかったから?
まあここから先は巨大感情の妄想に入るが。

大場ななが介錯を望んだのは、純那とまた同じ舞台に立ち、舞台の上でつながることを望んだ末に用意した演出なのではないか。
一方的に純那を切り捨てるだけでは、結局は皆殺しのレヴューと変わらない。
そこに純那の意思はなくて、ななだけが、純那に執着する大場ななだけが舞台にとり残されてしまう。
純那が幕を下ろすことを望み自分の脇差〈舞〉を使って切腹する意思、純那の一番そばで彼女の美しい瞬間を摘み取りたいというななの執着。
二人の共演、互いが互いを意識し求めあう瞬間を、大場ななは切望していたのではないか。

「でもいつか、いつかまた新しい舞台で、一緒に」
純那が口にした瞬間のななが息を吸う音。
大場ななが舞台に生かされた瞬間のあの音が忘れられない。

タイトルとURLをコピーしました